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ヨネザワ社長ブログ

中小企業は社会の基盤

2024年09月21日

9月21日 中小企業は社会の基盤

 

私は中小企業というものは、日本経済の基盤であり、根幹であると思う。

それが健在であってこそ、大企業も持ち味を生かすことができるし、経済全体の繁栄も可能になる。とともに、中小企業は単に経済においてだけでなく、いわば社会生活の基盤にもなるべきものだと思う。

つまり、いろいろな適性を持った人が、それぞれに色とりどりの花を咲かす、そういった社会の姿がより望ましいのであり、そこに人間生活の喜びというものもあるのではないだろうか。

その意味において、たくさんの中小企業が、それぞれにところを得て、さかんな活動をしているというような社会の姿が一番理想的なのではないかと思う。

大手にない達成感

組織においては

歯車の一枚の刃になるか

歯車そのものになるか

良いも悪いも個性が集まる集団

中小企業は最高ですね

 

 

 

 

立ち話の会議

2024年09月20日

9月20日 立ち話の会議

 

社長が実際の仕事についてあまり知らず、会議で「どうだ君、やれると思うのだがどうだ」というようなことを言っていると、甲論乙駁、議論百出となって、三日ぐらいもかかることになりかねません。

それはいささか極端ですが、会議というものは概してそのような傾向が強いのではないでしょうか。

それでは何かにつけてテンポの速い今日の世の中では、結論が出たときにはもう状況が変わっているということにもなりかねません。

ですから会議だからといって、会議室に集まり椅子に座ってするというのではなく、言うなれば立ち話で会議をして即決するというくらいの心構えが必要だと思います。

会議ですね

なんのためのものでしょうか

決定

共有

知恵だし

立ち話で会議で即決

これぞ究極の会議なんでしょうか

 

 

仕事を味わう

2024年09月19日

9月19日 仕事を味わう

 

私はどんな仕事であれ、ほんとうにそれが自分に適したものかどうかを見きわめるのは、それほど容易なことではない、仕事というものは、もっともっと深いというか、味わいのあるものだと思います。

最初はつまらないと思えた仕事でも、何年間かこれに取り組んでいるうちにだんだんと興味が湧いてくる。

そしていままで知らなかった自分の適性というものが開発されてくる。

そういうことも仕事を進めてゆく過程で起こってくるものです。

つまり、仕事というものはやればやるほど味の出てくるもので、辛抱をして取り組んでいるうちに、だんだんと仕事の味、喜びといったものを見出していくことができるのだと思います。

やればやるほど

そうです

どんな仕事でももっとやらないと良さは分からない

どんどん熱心に仕事をすること

これが一番だと思います

 

 

豊かさに見合った厳しさ

2024年09月18日

9月18日 豊かさに見合った厳しさ

 

暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛錬が必要になってくる。

つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから親に厳しさがなくても、いたわりだけで十分、子どもは育つ。

けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。

その豊かさにふさわしい厳しさがなければ、人間はそれだけ心身ともになまってくるわけである。

しかるに、いまの家庭にはそういう厳しさが足りない。

政治の上にも、教育の上にも足りない。

それが中学や高校の生徒がいろいろと不祥事件を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。

豊かさ=厳しさ

バランスが大切なのでしょうか 

 

 

愚痴の言える部下を持つ

2024年09月17日

9月17日 愚痴の言える部下を持つ

 

憤慨したときに憤慨できる相手があったら一番楽ですな。

つまり早く言えば最高首脳者として、愚痴を言える部下が必要だということです。それが副社長でも専務でも、あるいは秘書でもいい、そういう人があれば幸せですな。

どんなにえらい人でも愚痴のはけ場がなかったら鬱積しますわ。

そうするとあやまちをします。

太閤秀吉でも、石田三成を可愛がったといいますけど、あれはやっぱり愚痴を石田三成にもっていったんだと思います。

そうすると三成はそれを適当にうけて、うまい具合に機嫌をとったんですわ。

そうすると太閤さんは頭がすっとして、またいい知恵を出したということでしょう。

愚痴は悪かとおもいきや

そんな心を許すブレーンを持つことが大切だということでしょうか

 

 

一人の責任

2024年09月16日

9月16日 一人の責任

 

会社が発展するのも失敗するのも、結局はすべて社長一人の責任ではなかろうか。

というのは、もし社長が“東へ行け”と言うのに、“いや私は西へ行きます”と言って反対の方向に行く社員はまずいないからである。

ほとんどの社員は、社長が東へ行こうと言えば、みな東へ行く。

だから、“東へ行け”と言って、もし間違ったとしたら、それは社長一人の責任に他ならないわけである。

同じように、一つの部、一つの課が発展するかしないかは、すべて部長一人、課長一人の責任である。

私は、いままでいかなる場合でも、そう考えて、自問自答しながら事をすすめるよう努めてきた。

全ては社長の責任

その通りです

肝に銘じての毎日です

 

 

精神的大家族

2024年09月15日

9月15日 精神的大家族

 

核家族の風潮というのは、いい悪いは別にして、天下の大勢です。

大きな流れです。けれどもそれは形の上でそうなのであって、精神の上では核家族になってはいけないと思います。

あたかも大家族のごとく、年老いた老人には、家族の人たちが絶えず心を通わせるようにしなければなりません。

たとえば、三日に一ぺんは電話で声をかけてあげるとか、そういうつながりがなければいけないと思います。

世の中が進歩したら、それぞれ活動する場所が増えますから、どうしても離れ離れになって、大家族という形はとれません。

だから一方でそれを集約する精神的なつながりが一層必要だと思うのです。

少ない人数、たくさんの人数

関係なしに精神的、心のつながりこそ大切だということでしょうか

 

 

いくつしむ

2024年09月14日

9月14日 いつくしむ

 

昔、仁徳天皇は、国中に炊事のけむりの乏しいのを見て人民の困窮を知り、三年間課役を中止し、三年後国中にけむりが満ちてはじめて、「民富めり」と再び租税を課された。

その間は皇居も荒れ、雨がもるほどであっても修理されなかったという。

これは伝説かもしれないが、しかし大事なことは、そのように人民をいつくしむ仁慈の心を持つことが、昔からの指導者のあるべき姿とされてきたことである。

そこに日本の一つのよき伝統があり、そういうところから封建時代でさえ数々の名君が生まれたのであろう。

そのことが栄えるもとだったのである。民主主義の今日でも、指導者はまず人びとの幸せを願う仁慈の心を持たねばならないと思う。

廻りの方々が困っていればそのような対応をする

幸せを願う

これ使命でしょうか

 

 

商売と誠意

2024年09月13日

9月13日 商売と誠意

 

誠意にあふれ、真剣な思いに満ちた行動は必ず人びとの心をとらえずにはおきません。

誠意をもって熱心に仕事に取り組んでいる人は常に「こうしてはどうだろうか」とか、「この次にはこんな方法でお客さんに話してみよう」というように工夫をこらし、いろいろ効果的な方法を考えます。

また同じことを説明するにしても、その話し方に自然と熱がこもり、気迫があふれます。

そうするとお客さんの方でもその熱心さに打たれ、「どうせ買うならこの人から」ということになってくるわけです。

そういう日々の仕事の態度というものが、やがては大きな差となって表われてくるのではないでしょうか。

誠意と真剣、熱意

この繰り返し

その態度がやがて大きな差になる

こんな人間になりたいですね

 

 

 

予算にとらわれない

2024年09月12日

9月12日 予算にとらわれない

 

一国の運営をお金の面からみますと、いわゆる予算というものを組んで、それに基づいてさまざまな施策を行なっています。お互いの商売でも、同じように予算というものによって、これを進めていく場合が少なくないと思います。

しかし、商売というものは、実際予算どおりに動くものではない。

したがって、予算がない、ということで必要なことの実施を延ばしたりするのではお客様はどんどん他へ流れていってしまうと思います。

予算によって商売をしていくことはもちろん大切ですが、それはあくまで内輪の心づもりであって、外部に対して必要なことは借金してでもやる、そういう商売をしなくてはならないと思うのです。

ある新しい事業にチャレンジをします

そんな時にこの文章

元気を頂きました

外部

営業活動

必要なものは借金してでもやる

がんばります