創業まで(1950 - 1974)

沿革

1950(昭和25年2月)

創業者の西依有一が生まれる

創業者の西依有一は筑後川が流れる筑紫平野の田園地帯(福岡県朝倉町大福村(現朝倉市長渕559))にある母・フミ子の実家で、1950(昭和25年2月1日)に長男として生まれた。

三連水車
朝倉の三連水車
西依有一誕生
春吉の実家で撮影
西依有一幼少期
幼少期
1962(昭和37年4月)

福岡市立春吉中学校入学

13歳(中学2年)の時に、父・弘之(享年42歳)が1963(昭和38年3月6日)肺結核で亡くなる。

西依有一中学生
中学時代
春吉中学校
春吉中学校
1965(昭和40年4月)

福岡県立筑紫中央高等学校入学

16歳(高校2年)の時に、母が経営していた美容室を友人の金銭の保証人の立場でトラブルに巻き込まれ閉店。そのため、母の実家に引き取られる話になったが、敢えて入学金のみお願いし、学費や生活費はアルバイトで自分で稼ぐ条件で福岡大学法学部に入学。

西依有一高校生
高校時代
筑紫中央高等学校
1968(昭和43年4月)

大学入学

夜間(21時~3時)は西日本新聞社(発送部)で、朝から昼間(7時~12時)はビルメンテナンス会社の窓拭きのアルバイトとして働いた。

しかしながら肝心の勉強の方が疎かになり、1971(昭和46年6月)に中退。それでも諦めきれず1年間だけ浪人し、1973(昭和48年4月)、北九州大学に入学。

しかし窓拭きのアルバイト生活と学業の難しさが骨身にしみて挫折、自分の体力と運を信じて独立創業を決して大学を中退。1974(昭和49年9月1日)個人で窓拭き清掃の下請けとしてスタートする。

西依有一大学生
大学時代
福岡大学
福岡大学

世界・日本・福岡の主なできごと

1950(昭和25年)
朝鮮戦争勃発(6月)
第1回西日本大濠花火大会開催(7月)

1951(昭和26年)
西鉄ライオンズ誕生(1月)
サンフランシスコ平和条約締結(4月)
日米安全保障条約締結(4月)

Yoshida signs San Francisco Peace Treaty

1953(昭和28年)
テレビ放送開始(2月)
福岡市動物園開園(8月)

1958(昭和33年)
西鉄ライオンズ日本シリーズ3連覇(10月)
東京タワー完成(12月)

1970年代の東京タワー

1959(昭和34年)
最低賃金法施行(7月)
三池争議(8月)

1960(昭和35年)
天神ビル完成(6月)

Tenjin Building 201312

1961(昭和36年)
福岡ビル完成(10月)

1964(昭和39年)
東京オリンピック開催(10月)

Tokyo Olympic Closing Ceremony 19641024

西日本初の地下街、博多駅に完成(11月)

1966(昭和41年)
福岡大博覧会開催(3月)
日本の総人口1億人突破(3月)

1969(昭和44年)
アポロ11号月面着陸(7月)

AS11-40-5875 (21037481544)

1971(昭和46年)
福岡ショッパーズプラザ(現イオンショッパーズ福岡店)開店(6月)

1972(昭和47年)
札幌冬季オリンピック開催(2月)
福岡市が政令指定都市となり5区が誕生(4月)
沖縄本土復帰(5月)

1973年(昭和48年)
路面電車(吉塚線)廃止(1月)
マツヤレディス(現ミーナ天神)開店(4月)

ミーナ天神

第4次中東戦争(10月)

独立・創業期(1974 - 1987)

沿革

1974(昭和49年9月)(24歳)

個人でビル清掃を開業

ガラス清掃の業務を中心とした下請けとしてスタート
売上高月間およそ11万5千円

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1974(昭和49年9月)、私が大学を中退しガラス清掃の受注を中心としたビル清掃業を個人開業したことが、当社の歴史の始まりで、私は学生時代より賃金の高かったガラス清掃のアルバイトを行っていた。

やがてアルバイトの賃金に満足せず自ら個人で仕事を受注するようになり、その時自身の営業で受注した学生だからという理由で解約になったことが創業のきっかけだった。

当時は就職浪人中だったが、自身の性格を考え、このままサラリーマンになるより自分で事業を始めたほうがいいという気持ちもあり、開業後持ち前の体力を活かし、アルバイトを通じて知り合った仕事関係者から次々に仕事を受注していった。
当時の大卒男子の初任給が5万円だった時代に、売上高は私1人で11万円を超えていた。

1977(昭和52年4月)(27歳)

資本金100万にて有限会社として法人化

事務所を実家(福岡市春吉2丁目2-35 TEL:761-0267)に置く

旧)電電公社(福岡県~路線)社屋ガラスを受注

西依有一独立期

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従業員は正社員4名、アルバイト学生スタッフが10名のごく小規模の会社だった。

この年に博多駅に新幹線が開通。駅周辺の開発が進み需要は高くなったのだが、同業者が増えて競争も激しくなっていった。
当時、経営者として求められたことは、営業に専念し仕事を受注することだった。
毎日、電話帳を開いて行き先を決めると、飛び込みで営業を行っていた。
建設会社や同業者の担当者と人のつながりを密にすることが、仕事を受注する上で必要だった。

営業の結果はすぐに出て、福岡県全域の旧)電電公社の社屋ガラスの清掃を受注した。
他にも、ビル管理会社5社から、下請けでガラス清掃を受注、3年目にしてまとまった量の仕事を確保でき、経営の見通しがつくようになった。
この当時のガラス清掃に関しては県内でもトップクラスであったと自負している。

1979(昭和54年)(29歳)

3月

事務所を移転

事務所を移転(福岡市中央区警固1丁目11-3 TEL:751-0726)

その後、事業として貯水槽と床定期清掃をスタート

桜島社員旅行
社員旅行先の鹿児島県長崎鼻公園で撮影

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貯水槽清掃やビル清掃のやり方は、自分がまず作業を自身で体得するため、仕事を通じて知り合った熟練の技能者にお願いし、時間を見つけては現場へ同行し技術を得た。

しかしこの年に、当社の窓ガラスの清掃作業で重大災害事件が発生。
今と比べ、当時の労働安全管理体制は十分と言えるものではなかった。
元請からは仕事を引き上げられ倒産を覚悟。
幸い裁判にはならず、当面の仕事を確保することができ倒産を避けることはできたが、この事故処理は3年ほどかかり、安全管理の重要性を痛感した。

またこの出来事で、下請けから脱却しなければ生き残っていけないと考え、建設中のビルの現場に行き建設会社や設計会社の名前を調べ、飛び込みで営業を実行。
オーナーを紹介してもらうためにかなり苦労した。
この頃は夜の接待が中心となる営業で、かなりの費用と時間を必要とした。

福岡市へ入札参加資格を申請

旧)厚生省指定業者(環73号)として貯水槽清掃をスタート
ユニード、ダイエー、サニー、国公立大学、高校、中学校、小学校を受注

入札業者指定書
貯水槽清掃入札業者指定書

4月

初めて常駐体制3名にて日常清掃業務を契約

精華女子短期大学

精華女子短期大学
精華女子短期大学(正門)
1980(昭和55年4月)(30歳)

福岡市植物園の常駐警備業務を落札

福岡市植物園
福岡市植物園

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1980(昭和55年)、高校時代の先輩の紹介で地場の有力企業であったダイエー、ユニード、サニーの貯水槽清掃を受注。
公官庁の入札にも参加するようになり、県内の公立学校(小学校~大学まで)の貯水槽清掃を受注。
業務内容や顧客も増やし、社員数24名、年間の売上高も1千万円をこえ、経営は順調であった。

1983(昭和58年)(33歳)

6月

ユニード、ダイエー、市内6店舗の電気設備管理業務を受注

現イオングループ(渕上、西新、アピロス野間、屋形原、春日原、アピロス福重)の6店舗

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当社はもともとガラス清掃の下請であったが、毎年業務の種類を増やすことで規模を拡大し、年間の売上高は6,000万円を超え、社員も増えた。

9月

事務所を移転

事務所、倉庫、駐車場確保のため、警固から江島ビル1階(福岡市中央区薬院1-16-18 TEL751-0726)へ移転

江島ビル

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同年9月、会社の規模は大きくなったが、売上が上がれば経営が安定するだろうという考えから、ひたすら業務を拡大した結果慢性的な資金不足となり、資金繰りに忙殺されていた。

この頃ほとんど社内の体制を見ることができず、営業と毎月の資金確保に追われていた。

1984(昭和59年9月1日)(34歳)

3月

三軌建設の日常・定期清掃業務を受注

三軌建設社屋
旧志免鉱業所竪坑櫓

志免鉱業所は海軍艦艇の燃料であった石炭の確保を目的として1889年に建設された。
終戦後に国鉄へと事業が移管され、現在は国の重要文化財に指定されている。

志免鉱業所の清掃業務を担当していたことで、当時国鉄の関連会社であった三軌建設社屋の日常・定期清掃業務を受注した。

9

創業10周年

10周年記念品の有田焼
10周年記念で会社ロゴを作成

福岡松竹映画館の夜間館内清掃を受注

国民に親しまれた寅さんこと、1969(昭和44年8月27日)~1995(平成7年)12月23日全48作のシリーズ映画「男はつらいよ」を上映した忘れる事が出来ない映画館

大洋映画館
2024年3月末に取り崩すことになる、中洲に唯一残る映画館
1985(昭和60年6月)(35歳)

福岡総合ビル管理事業協同組合加盟(12社)

県庁8階の床定期清掃を担当

福岡県庁舎(行政棟)

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官公庁の入札(国・県・市)への参加を重点として活動し業種・業態を絞り、指定を受けて営業を展開する。

また、地域の同業者と連携し従業員教育のため協会活動を行う。

社員数64名

1987(昭和62年)(37歳)

5月

福岡市医師会指定業者へ

市内及び近郊の病院やクリニックの定期や日常清掃業務

八田内科医院
八田内科医院(早良区)
1982(昭和57年)7月契約
船越内科医院
船越内科医院(中央区)
1984(昭和59年)11月契約
野口整形外科
野口整形外科(南区)
1992(平成4年)4月契約

6月

福岡県ビルメンテナンス協会加盟(84社目)

2023(令和5年)現在の加盟企業151社並びに賛助会員数26社

全国ビルメンテナンス協会会員証
会員企業コード(JASMINID)
9011003277

世界・日本・福岡の主なできごと

1975(昭和50年)
山陽新幹線が博多駅まで開通(3月)

山陽新幹線

ベトナム戦争終結(4月)
福岡市の人口が100万人突破(10月)

1976(昭和51年)
福岡市民図書館開館(5月)
天神コア開業(6月)

Tenjin Core Building 20170710

天神地下街開業(9月)

1978(昭和53年)
渇水のため給水制限(287日間)(5月)
日中平和友好条約(8月)

1979(昭和54年)
路面電車(循環線)廃止(2月)
サンセルコ開業(3月)

Sun Selco 20221022

福岡市美術館開館(11月)

1980(昭和55年)
福岡市植物園開園(6月)
こども病院開院(9月)
福岡都市高速道路開通(10月)

1981(昭和56年)
福岡サンパレス開業(5月)

福岡サンパレス 2010

地下鉄空港線開通(7月)
福岡県新庁舎落成(11月)

1982(昭和57年)
福岡埋蔵文化財センター開館(2月)
西区が3分割(早良、城南、西)、7区制となる(5月)
福岡市がボルドー市(仏)と姉妹都市提携を結ぶ(11月)

1983(昭和58年)
東京ディズニーランド開園(4月)

東京ディズニーランド

筑後川導水開始(10月)

1985(昭和60年)
電電公社・専売公社民営化、NTT・JTとなる(4月)

1986(昭和61年)
男女雇用機会均等法施行(4月)
チェルノブイリ原発事故(4月)

1987(昭和62年)
国鉄民営化でJR九州発足(4月)
世界人口50億人突破(7月)
平和台球場で鴻臚館跡発見(12月)

Fukuoka Kourokan 2010B

成長期(1988 - 1999)

沿革

1988(昭和63年12月)(38歳)

八百治ビルの管理業務を受注

八百治ビル

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延べ面積4,000㎡で法律上特定建築物になる八百治ビルの管理業者となり、当社にとって大きな転換点となった。
これにより、当社は総合ビルメンテナンス業として、実績を確保することができた。

この年、年間売上高は1億2千万円を超え経営も安定するようになり、当時日本はバブル景気に沸き、当社の売り上げは順調に伸びていたが、深刻な人手不足に悩まされ人材を募集しても申し込みはなく、ビルメンテナンスの業界は世間的に3Kと呼ばれ、特に人が集まらない時代であった。

1989(平成元年)(39歳)

3月

アジア太平洋博覧会(よかトピア)で場内整備作業に参加

アジア太平洋博覧会
アジア太平洋博覧会
特別記念入場券(表紙)
アジア太平洋博覧会
特別記念入場券

9月

福岡ビルメンテナンス協力会 有志4社にて設立参加

協力関係の維持発展と相互扶助の目的のため、ビジネスパートナーと懇親を深める。

11月

社内旅行(大分由布院温泉)

社内旅行(大分由布院温泉)
1990(平成2年)(40歳)

3月

福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)を受注

福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)の管理業務を受注

水産会館

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1990(平成2年)、福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)(4,000㎡)の特定建築物の総合管理業者となり、総合ビルメンテナンス業として市場ポジションを確立することで売り上げは急速に拡大し、資金にも余裕ができるようになった。

事業は順調に伸びているように感じていたが、経済的背景が大きく変わる出来事があった。

この年、大蔵省(現 財務省)から金融機関へ向けた総量規制の通達によってバブル経済崩壊の一因となり、東京では、不動産への投資が急速に落ち込んだが、福岡ではまだあまり影響を感じられず、街や業界に活気があり緊迫感を感じていなかった。

福岡ガラス・外装クリーニング協会

福岡ガラス・外装クリーニング協会(現社団法人九州ガラス・外装クリーニング協会)に(株)シャインピアの髙橋社長を初代会長として、10社にて設立参加

11月

社内旅行(島原 キリシタン資料館)

社内旅行(島原 キリシタン資料館)
1991(平成3年)(41歳)

8月

株式会社へ組織を変更

株式会社へ組織を変更

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1991(平成3年)から、オフィスビルの空テナントが目立つようになった。
景気は一転して悪化、不動産関連の業界はその影響を直に受け、当社もビル売却や値下げ要請などにより、2年間で売上が40%低下した。
景気が急速に悪化し競争が激しくなる中で当社は攻めの姿勢を貫き、営業体制を強化するために、専属の営業担当を2名、自らも積極的に営業活動を実行。

10月

社内旅行(湯布院)

社内旅行(湯布院)
1992(平成4年11月)(42歳)

社内旅行(黒川温泉)

社内旅行(黒川温泉)
1993(平成5年11月)(43歳)

社内旅行(嬉野温泉)

社内旅行(嬉野温泉)
1994(平成5年)(44歳)

9月

創業20周年

20周年記念のバッジと社旗

社章の意味
「社員の幸せ」・「お客様満足」・「社会への貢献」を未来に向かって実現、成長し続けるというイメージで、福岡市博多区周辺の狭い市場で大きな会社になるというという祈り・願いを込めてこの社章となった。

スタッフユニフォーム

11月

社内旅行(別府温泉)

社内旅行(別府温泉)
旧博多駅のホームにて撮影
1995(平成7年3月)(45歳)

アサコ博多第1、2ビルの管理業務を受注

アサコ博多第1ビル

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積極的な営業活動は一時的に功を奏し、1995(平成7年)、アサコ博多ビル(6,000㎡)、アサコ第2ビル(2,000㎡)の管理業務を受注することができ、年間売上高はバブル景気時の2倍の2億4千万円でバブル崩壊後の売り上げ減少をすぐに取り返した。

一方で、この頃をとにかく大規模な案件を獲得することに注力して、顧客獲得のための営業活動にかなりの金額を使っていた。

1996(平成8年4月)(46歳)

天神MMTビルの清掃、設備業務を受注

メディアモール天神(MMT)ビル

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これまでの当社の歴史の中で最も延べ面積の広い天神MMTビル(24,000㎡)の清掃、設備業務を受注。

天神ビッグバンで再開発中の福ビル跡地
(大名ガーデンシティより撮影)

博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)の外周清掃業務を受注

博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)
1997(平成9年)(47歳)

4月

三菱倉庫福岡支店の日常・定期清掃業務を受注

5月

三菱倉庫天木配送センター、事務所の定期清掃業務受注

三菱倉庫福岡支店
設立75周年記念テレホンカード
(1918年3月三菱倉庫株式会社に商号変更)

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年間売上高は過去最高の3億1千万円、スタッフは正社員、パートを合わせて81名に増加。
当社の売上高は1997年(平成9)をピークに、年々減少した。

配電委託工事研修センターの定期清掃を受注

九州電力の配電委託工事を行う14社の従業員研修施設である、配電委託工事研修センターの定期清掃を受注。

電気ビル(九州電力本店)
1998(平成10年)(48歳)

4月

事務所を博多八百治ビルへ移転

博多八百治ビル(博多駅前4-3-3‐4階 TEL473-1124)へ事務所を移転

博多八百治ビル外観
博多八百治ビル入口

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1998(平成10年)、本社を創業時からのお客様であり新築された八百治第2ビルへ移転し、当社の研修室を同じく新築されたお客様の奥村第3ビルに開設。

この頃からビルメン協会主催の社外訓練に加えて、社内にて独自に教育訓練が可能になった。

教育訓練体制の確立の柱となったのが、警備担当を務めていた小島さん(男性)であった。
小島さんは常に規律正しく言動に説得力があり、64歳にしてビルクリーニング技能士を習得するなど、常に前向きに仕事に打ち込む人であった。
小島さんの尽力により、これまで難しかった業務の組織的な運営や自社の教育訓練体制が確立。

同年6月、「金融自由化に関する法律」が施行され、金融自由化の動きは急速に進み、業界の構造が大きく変化しようとしていた。
ビルは個人のオーナーが資産として長期間保有するものではなく、不特定の投資家の投資の対象となり、ビル経営は、毎年の利益を最大化することが求められるようになり、これまでのような新規獲得の営業ができなくなり、防戦一方になっていった。

ビルの経営は専門の会社(プロパティマネジメント会社)が行うようになり、所有と経営の分離が進んだが、当社はその影響を察知できていなかった。
この時の当社の競争優位の源泉は経営者の営業力であり、旧来型の経営スタイルから、脱却できていなかった。

6月

60歳にむけて由布岳登山に挑戦

60歳の還暦で日本最高峰である富士山の登頂を誓う。

由布岳
由布岳登頂
1999(平成11年)(49歳)

4月

研修室を奥村第3ビルに設ける

奥村第3ビル(博多区博多駅前4-10-13 2階)に研修室を設ける

奥村第3ビル
奥村第3ビル

6月

福岡大冠水

6月29日に起きた福岡市の中心部を襲う大豪雨により資材1,000万円分が水に濡れ廃棄処分。社用車も水没。

冠水時の博多駅近く

八百治ビルの地下の詰所に警備員が閉じ込められるが、間一髪でレスキュー隊に救出される。
当時、全社員(80名)の情報共有と緊急対応する目的で携帯電話を持たせていたことが功を奏した。
皆が家路に向かう洪水の中、胸まで浸かりながら出社し、現場に向かう社員もいた。

7月

全国ビルメンテナンス協会主催の第4期ビルメン経営塾に参加

12月11日経営塾修了式にて修了生を代表して謝辞。(神奈川県横浜市セミナープラザすずかけ台にて)

第4期ビルメン経営塾(第3班)のメンバー
第4期ビルメン経営塾会員証

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謝辞全文

「平成11年7月より第4期ビルメン経営塾に参加いたしました。
我々塾生は、自分から希望し胸躍らせて第1回目の神戸にやっ てきました。

当初は、皆初対面でぎこちない雰囲気でしたが、2回、3回と 回を重ねる毎に塾生の顔と名前が一致するようになりました。そ して共通の喜びや悩みを話し合えるようになると、経営塾が待遠 しくなりました。

経営塾で学んだことは数多くありますが、最大の収穫は、生涯 お付き合いできる友人が数多くできたことであり、その方達と関 係を通じ、自分を成長させていけるものと確信できることです。

そして、その友人たちとの輪は、職場、年齢、地域を越えて付 き合っていけるものと信じております。いろいろな個性がさまざ まな形で解け合い、素晴らしい絵を描けたことは、第4期ビルメ ン経営塾の最大の成果であったと思います。

また、研修の内容を会社に持ち帰り活用できる有効なお話を、 たくさんいただきました。その中には、自社の成長の種になるよ うなテーマが数多くありました。そしてそれを参考に、問題解決 に当たることができました。

本日で第4期ビルメン経営塾が終了いたしますが、我々は社に 戻ってからも、生涯経営塾を続ける覚悟であります。

幾多の先人の方々が創られ、伸ばしてこられたビルメンテナン ス業を、21世紀に向かって我々が引き継いでいくよう、塾生全 員が努力してまいります。

今後とも先輩方や指導員の変わらぬご指導をお願い申し上げま す。本当にいろいろとありがとうございました。」

9月

創業25周年

社内報「ひろば」で創業25周年にむけて祝賀のメッセージを伝える。

社内報「ひろば」第75号

世界・日本・福岡の主なできごと

1988(昭和63年)
成田国際空港開港10周年(5月)
第24回ソウルオリンピック開催(9月)
女性センター「アミカス」高宮に開館(11月)

1989(平成元年)
アジア太平洋博覧会(よかトピア)開催(市制施行100周年記念)(3月)
消費税(3%)スタート(4月)
天安門事件(6月)
ベルリンの壁崩壊(11月)

West and East Germans at the Brandenburg Gate in 1989

1990年(平成2年)
長崎自動車道、全線開通(1月)
大蔵省総量規制通達(バブル経済崩壊)(3月)
高速船「ビートル」、博多-平戸-長崎オランダ村間が就航(5月)第45回国民体育大会・とびうめ国体、福岡県で開催(9月)
東西ドイツ統一(10月)

1991年(平成3年)
湾岸戦争が勃発(1月)
高速船「ビートル2世」、博多-韓国釜山間が就航(3月)

Beetle 2

雲仙普賢岳で火砕流(6月)
ゴルバチョフ大統領辞任、ソ連、解体される(12月)

1992年(平成4年)
福岡市民防災センター、百道浜に開館(1月)

Fukuoka Citizens Disaster Prevention Center 3-3 Momochi-1-chōme Sawara-ku Fukuoka City 20220914

ハウステンボス、長崎県佐世保に開業(3月)

1993年(平成5年)
博多港、国際ターミナル開設(4月)
福岡ドーム開業(4月)

Fukuoka Seaside Momochi Aerial Shoot

Jリーグ、開幕(5月)
皇太子、御成婚(6月)

Emperor Naruhito and Empress Masako in formal wedding robes

1994年(平成6年)
福岡市渇水で295日の給水制限(8月)
関西国際空港開港(9月)

1995年(平成7年)
阪神・淡路大震災(1月)

地下鉄サリン事件(3月)

ユニバーシアード福岡大会開催(8月)
マリンメッセ福岡開館(8月)

Marine Messe (Fukuoka, JAP)

マイクロソフト、Windows95発売(8月)
藤枝ブルックスが福岡市へ移転しアビスパ福岡に(8月)

1996年(平成8年)
大分自動車道、全線開通(3月)
キャナルシティ博多開店(4月)

Canal City Hakata 2011

九州自動車道、全線開通(7月)

1997年(平成9年)
三池炭鉱、閉山(3月)

Miyanohara Pit of Miike Coal Mine (southwest) 2

消費税5%に引き上げ(4月)
香港、中国に返還(7月)

Hong Kong Harbor (5283614269)

平和台球場、閉鎖(11月)

1998年(平成10年)
長野冬季オリンピック(2月)

Nagano 1998-Russia vs Czech Republic

1999年(平成11年)
EC統一通貨ユーロが誕生(1月)

Euro coins and banknotes

博多リバレイン、福岡アジア美術館が下川端町に開業、開館(3月)

博多リバレインモール by TAKASHIMAYA

博多座、下川端町に開場(6月)

Hakataza Theater 20200828-3

ダイエーホークス福岡移転後初のリーグ優勝(10月)

展開・試練期(2000 - 2010)

沿革

2000(平成12年)(50歳)

3月

東京営業所を開設

東京営業所を開設(文京区本郷2丁目8-1)
縁があって第4期ビルメン経営塾の九州出身の塾生の会社に開設
後に当社の取締役に就任

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2004(平成16年)10月に営業所閉鎖
本社事務所4階から6階へ縮小移転

2000(平成12年)5月、改正投資信託法が施行され、翌年2001(平成13年)3月には東京証券取引所に不動産投資信託市場が開設される。

ビルの所有者は、個人のオーナーではなく、証券を購入した不特定多数の投資家になった。

投資法人から委託を受けたアセットマネジメントがビル等建築物への投資を行い、その経営をプロパティマネジメント会社が行うようになり、市場のルールが変わり、当社の営業スタイルが通用しなくなってきた。

時代の流れから、取引先の支店決済ができないようになり、九州地区の営業も難しくなり、2000(平成12年)、東京に営業を開設するが成果は上げられず、2004(平成16年)10月に閉鎖へ。

私が、経営について最も悩んだ時期である。

前年1999(平成11年)4月-9月(社)全国ビルメンテナンス協会主催の経営塾に参加したことで、経営者の個人の力だけでなく、組織として対応する重要性に気付く。

同年、会社ホームページ開設の準備開始。

2001(平成13年)(51歳)

営業高は1億8千万円にまで落ち込む。社員数66名→64名

2002(平成14年8月)(52歳)

日本ビルメン品質協議会(JBQ)を全国の有志8社にて設立参加

2002(平成14年)、小山昇氏(株式会社武蔵野代表取締役)の第1期実践経営塾に参加し、2~8月の半年間、毎月2泊3日の日程で、東京にて経営について徹底的に勉強。

内容は小山式経営手法。つぶれにくい会社の作り方、利益の残し方など小山氏が日々の経営において実践していることであり、最後の9月と10月には、各月1週間山に籠り当社の事業計画を完成させた。

2003(平成15年)(53歳)

1月

第27期 経営計画発表会開催(博多全日空ホテルにて)

お客様、金融機関やビジネスパートナーの方々に来社頂く

第27期経営計画発表会(博多全日空ホテル)
第27期経営計画発表会式次第

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2003(平成15年)、博多全日空ホテルにて、第27期経営計画発表会開催。
発表会は社内のスタッフだけでなく、顧客や金融機関、取引先も招待。
以降、毎年経営計画発表会を行い、当社の経営理念・活動方針浸透に努めている。

4月

入社式開催(博多全日空ホテルにて)

10年後の幹部社員を育てるための新卒社員を迎える

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この年に、10年後の幹部を育てるため初の新卒者採用をし、入社式を博多全日空ホテルにて開催。
事業継承を見据え後継者候補を採用し幹部社員の育成に力を注ぐが、正社員は定着しなかった。

11月

社員旅行(湯布院)

社員旅行(湯布院)
2004(平成16年)(54歳)

1月

第28期 経営計画発表会開催

4月

ISO14001認証取得

9月

創業30周年

会社ロゴマークとマスコットキャラクターの福ちゃんを制作

30周年記念社旗
2005(平成17年)(55歳)

1月

第29期 経営計画発表会開催

3月

福岡県西方沖地震

西方沖地震後の福岡ビル

11月

MMT天神ビルの総合管理の解約

MMT天神ビル(2,400㎡)の総合管理(清掃、設備)の解約に伴い撤退
契約金額4,500万円の売上損失

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2005(平成17年)は福岡地区にビルファンドの嵐が吹き荒れた年で、当社にとって辛い1年となる。
ビルの売却が相次ぎ、ビル所有者は投資法人を介した不特定多数の投資家に。

この年の3月に西方沖地震が起こりこの時の対応の不手際により、当社の最も売上が大きかったMMT天神ビルの業務(年間4500万円)が解約。

2006(平成18年)(56歳)

1月

第30期 経営計画発表会開催(八百治博多ホテルにて)

11月

事業縮小と体制強化のため事務所を移転

博多駅前4-10-4ルミエール1階へ事務所を移転

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2006(平成18年)、事業縮小に伴い、博多駅前4丁目10-4-ルミエール1階に事務所(倉庫・駐車場)を移転。
管理体制を最小限にし、固定費を圧縮し堅実な経営を実践。

この年、まだパートスタッフだった堀田が57歳にしてビルクリーニング技能士の資格を取得し、以後、堀田を中心に、日常定期・巡回清掃業務の管理体制・教育訓練を強化。

世界・日本・福岡の主なできごと

2000(平成12年)
岩田屋新館(A-LIVE)閉館(3月)
2000円紙幣発行(7月)

第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)開催(7月)

26th G8 summit - No.35

2001(平成13年)
吉野ケ里歴史公園、オープン(4月)

Yoshinogari-iseki minami-naikaku ounoie

アメリカ同時多発テロ(9月)

National Park Service 9-11 Statue of Liberty and WTC fire

福岡都市高速道路、百道-福重間が開通(10月)
長崎の池島炭鉱が閉山(11月)

Ikeshima tanko, Nagasaki PB100215

2002年(平成14年)
EU統一通貨ユーロの流通開始(1月)

サッカー第17回ワールドカップ日韓大会開催(3月)

2002年韓国 GACP大会

2003年(平成15年)
福岡国際会議場、石城町に開館(3月)

Fukuoka international congress center

米、大量破壊兵器保持を理由にイラクへ侵攻(3月)
博多城山ホテル閉鎖(9月)

2004年(平成16年)
天神岩田屋本館、閉店(2月)

IWATAYA A-SIDE

九州新幹線、鹿児島中央‐新八代間が開業(3月)
スマトラ島沖で大地震(10月)
新潟中越地震(10月)

2005年(平成17年)
福岡ソフトバンクホークス誕生(1月)
福岡県西方沖地震(3月)

Fukuoka Earthquake 20050320 Maruzen

九州国立博物館、太宰府市に開館(10月)

Kyuhaku-approach 1

2006年(平成18年)
新北九州空港、開港(3月)

Shin-Kitakyushu airport billding1