創業まで(1950 - 1974)
沿革
創業者の西依有一が生まれる
創業者の西依有一は筑後川が流れる筑紫平野の田園地帯(福岡県朝倉町大福村(現朝倉市長渕559))にある母・フミ子の実家で、1950(昭和25年2月1日)に長男として生まれた。
福岡市立春吉中学校入学
13歳(中学2年)の時に、父・弘之(享年42歳)が1963(昭和38年3月6日)肺結核で亡くなる。
福岡県立筑紫中央高等学校入学
16歳(高校2年)の時に、母が経営していた美容室を友人の金銭の保証人の立場でトラブルに巻き込まれ閉店。そのため、母の実家に引き取られる話になったが、敢えて入学金のみお願いし、学費や生活費はアルバイトで自分で稼ぐ条件で福岡大学法学部に入学。
大学入学
夜間(21時~3時)は西日本新聞社(発送部)で、朝から昼間(7時~12時)はビルメンテナンス会社の窓拭きのアルバイトとして働いた。
しかしながら肝心の勉強の方が疎かになり、1971(昭和46年6月)に中退。それでも諦めきれず1年間だけ浪人し、1973(昭和48年4月)、北九州大学に入学。
しかし窓拭きのアルバイト生活と学業の難しさが骨身にしみて挫折、自分の体力と運を信じて独立創業を決して大学を中退。1974(昭和49年9月1日)個人で窓拭き清掃の下請けとしてスタートする。
世界・日本・
1950(昭和25年)
朝鮮戦争勃発(6月)
1951(昭和26年)
サンフランシスコ平和条約締結(4月)
日米安全保障条約締結(4月)
1953(昭和28年)
テレビ放送開始(2月)
1958(昭和33年)
東京タワー完成(12月)
1959(昭和34年)
最低賃金法施行(7月)
1960(昭和35年)
1961(昭和36年)
1964(昭和39年)
東京オリンピック開催(10月)
1966(昭和41年)
日本の総人口1億人突破(3月)
1969(昭和44年)
アポロ11号月面着陸(7月)
1971(昭和46年)
1972(昭和47年)
札幌冬季オリンピック開催(2月)
沖縄本土復帰(5月)
1973年(昭和48年)
第4次中東戦争(10月)
独立・創業期(1974 - 1987)
沿革
個人でビル清掃を開業
ガラス清掃の業務を中心とした下請けとしてスタート、
売上高月間およそ11万5千円。
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1974(昭和49年9月)、私が大学を中退しガラス清掃の受注を中心としたビル清掃業を個人開業したことが、当社の歴史の始まりで、私は学生時代より賃金の高かったガラス清掃のアルバイトを行っていた。
やがてアルバイトの賃金に満足せず自ら個人で仕事を受注するようになり、その時自身の営業で受注した学生だからという理由で解約になったことが創業のきっかけだった。
当時は就職浪人中だったが、自身の性格を考え、このままサラリーマンになるより自分で事業を始めたほうがいいという気持ちもあり、開業後持ち前の体力を活かし、アルバイトを通じて知り合った仕事関係者から次々に仕事を受注していった。
当時の大卒男子の初任給が5万円だった時代に、売上高は私1人で11万円を超えていた。
資本金100万にて有限会社として法人化
事務所を実家(福岡市春吉2丁目2-35 TEL:761-0267)に置く。
旧)電電公社(福岡県各局~路線部)社屋ガラスを受注。
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従業員は正社員4名、アルバイト学生スタッフが10名のごく小規模の会社だった。
この年に博多駅に新幹線が開通。駅周辺の開発が進み需要は高くなったのだが、同業者が増えて競争も激しくなっていった。
当時、経営者として求められたことは、営業に専念し仕事を受注することだった。
毎日、電話帳を開いて行き先を決めると、飛び込みで営業を行っていた。
建設会社や同業者の担当者と人のつながりを密にすることが、仕事を受注する上で必要だった。
営業の結果はすぐに出て、福岡県全域の旧)電電公社の社屋ガラスの清掃を受注した。
他にも、ビル管理会社5社から、下請けでガラス清掃を受注、3年目にしてまとまった量の仕事を確保でき、経営の見通しがつくようになった。
3月
事務所を移転
事務所を移転(福岡市中央区警固1丁目11-3 TEL:751-0726)、
その後、事業として貯水槽と床定期清掃をスタート。
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貯水槽清掃やビル清掃のやり方は、自分がまず作業を自身で体得するため、仕事を通じて知り合った熟練の技能者にお願いし、時間を見つけては現場へ同行し技術を得た。
しかしこの年に発注先の協力会社で重大災害事件が発生。
今と比べ、当時の労働安全管理体制は十分と言えるものではなかった。
元請からは仕事を引き上げられ倒産を覚悟。
幸い裁判にはならず、当面の仕事を確保することができ倒産を避けることはできたが、この事故処理は3年ほどかかり、安全管理の重要性を痛感した。
またこの出来事で、下請けから脱却しなければ生き残っていけないと考え、建設中のビルの現場に行き建設会社や設計会社の名前を調べ、飛び込みで営業を実行。
オーナーを紹介してもらうためにかなり苦労した。
この頃は夜の接待が中心となる営業で、かなりの費用と時間を必要とした。
福岡市へ入札参加資格を申請
旧)厚生省指定業者(環73号)として貯水槽清掃をスタート、
ユニード、ダイエー、サニー、国公立大学、高校、中学校、小学校を受注。
4月
初めて常駐体制3名にて日常清掃業務を契約
福岡市植物園の常駐警備業務を落札
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1980(昭和55年)、高校時代の先輩の紹介で地場の有力企業であったダイエー、ユニード、サニーの貯水槽清掃を受注。
公官庁の入札にも参加するようになり、県内の公立学校(小学校~大学まで)の貯水槽清掃を受注。
業務内容や顧客も増やし、社員数24名、年間の売上高も1千万円をこえ、経営は順調であった。
6月
ユニード、ダイエー、市内6店舗の電気設備管理業務を受注
現イオングループ(渕上、西新、アピロス野間、屋形原、春日原、アピロス福重)の6店舗。
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当社はもともとガラス清掃の下請であったが、毎年業務の種類を増やすことで規模を拡大し、年間の売上高は6,000万円を超え、社員も増えた。
9月
事務所を移転
事務所、倉庫、駐車場確保のため、警固から江島ビル1階(福岡市中央区薬院1-16-18 TEL751-0726)(凸版印刷西門前)へ移転
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同年9月、会社の規模は大きくなったが、売上が上がれば経営が安定するだろうという考えから、ひたすら業務を拡大した結果慢性的な資金不足となり、資金繰りに忙殺されていた。
この頃ほとんど社内の体制を見ることができず、営業と毎月の資金確保に追われていた。
3月
三軌建設の日常・定期清掃業務を受注
志免鉱業所は海軍艦艇の燃料であった石炭の確保を目的として1889年に建設された。
終戦後に国鉄へと事業が移管され、現在は国の重要文化財に指定されている。
志免鉱業所の清掃業務を担当していたことで、当時国鉄の関連会社であった三軌建設社屋の日常・定期清掃業務を受注した。
9月
創業10周年
福岡松竹映画館の夜間館内清掃を受注
国民に親しまれた寅さんこと、1969(昭和44年8月27日)~1995(平成7年)12月23日全48作のシリーズ映画「男はつらいよ」を上映した忘れる事が出来ない映画館。
福岡総合ビル管理事業協同組合加盟(12社)
県庁8階の床定期清掃を担当。
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官公庁の入札(国・県・市)への参加を重点として活動し業種・業態を絞り、指定を受けて営業を展開する。
また、地域の同業者と連携し従業員教育のため協会活動を行う。
社員数64名
5月
福岡市医師会指定業者へ
市内及び近郊の病院やクリニックの定期や日常清掃業務。
6月
福岡県ビルメンテナンス協会加盟(84社目)
2023(令和5年)現在の加盟企業151社並びに賛助会員数26社。
世界・日本・
1975(昭和50年)
ベトナム戦争終結(4月)
1976(昭和51年)
天神コア開業(6月)
1978(昭和53年)
日中平和友好条約(8月)
1979(昭和54年)
サンセルコ開業(3月)
1980(昭和55年)
こども病院開院(9月)
福岡都市高速道路開通(10月)
1981(昭和56年)
福岡県新庁舎落成(11月)
1982(昭和57年)
西区が3分割(早良、城南、西)、7区制となる(5月)
福岡市がボルドー市(仏)と姉妹都市提携を結ぶ(11月)
1983(昭和58年)
東京ディズニーランド開園(4月)
1985(昭和60年)
電電公社・専売公社民営化、NTT・JTとなる(4月)
1986(昭和61年)
男女雇用機会均等法施行(4月)
チェルノブイリ原発事故(4月)
1987(昭和62年)
世界人口50億人突破(7月)
成長期(1988 - 1999)
沿革
八百治ビルの管理業務を受注
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延べ面積4,000㎡で法律上特定建築物になる八百治ビルの管理業者となり、当社にとって大きな転換点となった。
これにより、当社は総合ビルメンテナンス業として、実績を確保することができた。
この年、年間売上高は1億2千万円を超え経営も安定するようになり、当時日本はバブル景気に沸き、当社の売り上げは順調に伸びていたが、深刻な人手不足に悩まされ人材を募集しても申し込みはなく、ビルメンテナンスの業界は世間的に3Kと呼ばれ、特に人が集まらない時代であった。
3月
アジア太平洋博覧会(よかトピア)で場内整備作業に参加
9月
福岡ビルメンテナンス協力会 有志4社にて設立参加
協力関係の維持発展と相互扶助の目的のため、ビジネスパートナーと懇親を深める。
11月
社員旅行(大分県 由布院温泉)
3月
福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)を受注
福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)の管理業務を受注。
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1990(平成2年)、福岡県水産会館(福岡県漁業協同組合連合会)(4,000㎡)の特定建築物の総合管理業者となり、総合ビルメンテナンス業として市場ポジションを確立することで売り上げは急速に拡大し、資金にも余裕ができるようになった。
事業は順調に伸びているように感じていたが、経済的背景が大きく変わる出来事があった。
この年、大蔵省(現 財務省)から金融機関へ向けた総量規制の通達によってバブル経済崩壊の一因となり、東京では、不動産への投資が急速に落ち込んだが、福岡ではまだあまり影響を感じられず、街や業界に活気があり緊迫感を感じていなかった。
福岡ガラス・外装クリーニング協会
福岡ガラス・外装クリーニング協会(現社団法人九州ガラス・外装クリーニング協会)に(株)シャインピアの髙橋社長を初代会長として、10社にて設立参加。
11月
社員旅行(長崎県 島原)
8月
株式会社へ組織を変更
会社と社員の成長をめざして株式会社へ組織を変更。
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1991(平成3年)から、オフィスビルの空テナントが目立つようになった。
景気は一転して悪化、不動産関連の業界はその影響を直に受け、当社もビル売却や値下げ要請などにより、2年間で売上が40%低下した。
景気が急速に悪化し競争が激しくなる中で当社は攻めの姿勢を貫き、営業体制を強化するために、専属の営業担当を2名、自らも積極的に営業活動を実行。
10月
社員旅行(大分県 湯布院)
社員旅行(熊本県 黒川温泉)
社員旅行(佐賀県 嬉野温泉)
9月
創業20周年
社章の意味
「社員の幸せ」・「お客様満足」・「社会への貢献」を未来に向かって実現、成長し続けるというイメージで、福岡市博多区周辺の狭い市場で大きな会社になるというという祈り・願いを込めてこの社章となった。
11月
社員旅行(大分県 別府温泉)
アサコ博多第1、2ビルの管理業務を受注
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積極的な営業活動は一時的に功を奏し、1995(平成7年)、アサコ博多ビル(6,000㎡)、アサコ第2ビル(2,000㎡)の管理業務を受注することができ、年間売上高はバブル景気時の2倍の2億4千万円でバブル崩壊後の売り上げ減少分を確保。
一方で、この頃をとにかく大規模な案件を獲得することに注力して、顧客獲得のための営業活動にかなりの資金を投入した。
天神MMTビルの清掃、設備業務を受注
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これまでの当社の歴史の中で最も延べ面積の広い天神MMTビル(24,000㎡)の清掃、設備業務を受注。
博多の森球技場(現ベスト電器スタジアム)の外周清掃業務を受注
4月
三菱倉庫福岡支店の日常・定期清掃業務を受注
5月
三菱倉庫天木配送センター、事務所の定期清掃業務受注
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年間売上高は過去最高の3億1千万円、スタッフは正社員、パートを合わせて81名に増加。
当社の売上高は1997年(平成9)をピークに、年々減少した。
配電委託工事研修センターの定期清掃を受注
九州電力の配電委託工事を行う14社の従業員研修施設である、配電委託工事研修センターの定期清掃を受注。
4月
事務所を博多八百治ビルへ移転
お客様である博多八百治ビル(博多駅前4-3-3‐4階 TEL473-1124)へ事務所を移転。
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1998(平成10年)、本社を創業時からのお客様であり新築された八百治第2ビルへ移転し、当社の研修室を同じく新築されたお客様の奥村第3ビルに開設。
この頃からビルメン協会主催の社外訓練に加えて、社内にて独自に教育訓練が可能になった。
教育訓練体制の確立の柱となったのが、警備担当を務めていた小島義徳さん(男性)であった。
小島さんは常に規律正しく言動に説得力があり、64歳にしてビルクリーニング技能士を習得するなど、常に前向きに仕事に打ち込む人であった。
小島さんの尽力により、これまで難しかった業務の組織的な運営や自社の教育訓練体制が確立。
同年6月、「金融自由化に関する法律」が施行され、金融自由化の動きは急速に進み、業界の構造が大きく変化しようとしていた。
ビルは個人のオーナーが資産として長期間保有するものではなく、不特定の投資家の投資の対象となり、ビル経営は、毎年の利益を最大化することが求められるようになり、これまでのような新規獲得の営業ができなくなり、防戦一方になっていった。
ビルの経営は専門の会社(プロパティマネジメント会社)が行うようになり、所有と経営の分離が進んだが、当社はその影響を察知できていなかった。
この時の当社の競争優位の源泉は経営者の営業力であり、旧来型の経営スタイルから、脱却できていなかった。
6月
60歳にむけて由布岳登山に挑戦
60歳の還暦で日本最高峰である富士山の登頂を誓う。
4月
研修室を奥村第3ビルに設ける
奥村第3ビル(博多区博多駅前4-10-13 2階)に研修室を設ける。
6月
福岡大冠水
6月29日に起きた福岡市の中心部を襲う大豪雨により資材1,000万円分が水に濡れ廃棄処分。社用車も水没。
八百治ビルの地下の詰所に警備員が閉じ込められるが、間一髪でレスキュー隊に救出される。
当時、全社員(80名)の情報共有と緊急対応する目的で携帯電話を持たせていたことが功を奏した。
皆が家路に向かう洪水の中、胸まで浸かりながら出社し、現場に向かう社員もいた。
7月
全国ビルメンテナンス協会主催の第4期ビルメン経営塾に参加
12月11日経営塾修了式にて修了生を代表して謝辞。(神奈川県横浜市セミナープラザすずかけ台にて)
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謝辞抜粋
「経営塾で学んだことは数多くありますが、最大の収穫は、生涯 お付き合いできる友人が数多くできたことであり、その方達と関 係を通じ、自分を成長させていけるものと確信できることです。
そして、その友人たちとの輪は、職場、年齢、地域を越えて付 き合っていけるものと信じております。いろいろな個性がさまざ まな形で解け合い、素晴らしい絵を描けたことは、第4期ビルメ ン経営塾の最大の成果であったと思います。」
9月
創業25周年
社内報「ひろば」で創業25周年にむけて祝賀のメッセージを伝える。
「今再びこの激流に抗すべく創業の精神”進取の気性” 弊社の経営理念”大きなことを小さく”して生き残りを賭け、前進してい行きたいと、深く肝に念じ決意しております。」
世界・日本・
1988(昭和63年)
成田国際空港開港10周年(5月)
第24回ソウルオリンピック開催(9月)
女性センター「アミカス」高宮に開館(11月)
1989(平成元年)
アジア太平洋博覧会(よかトピア)開催(市制施行100周年記念)(3月)
消費税(3%)スタート(4月)
天安門事件(6月)
ベルリンの壁崩壊(11月)
1990年(平成2年)
長崎自動車道、全線開通(1月)
大蔵省総量規制通達(バブル経済崩壊)(3月)
高速船「ビートル」、博多-平戸-長崎オランダ村間が就航(5月)第45回国民体育大会・とびうめ国体、福岡県で開催(9月)
東西ドイツ統一(10月)
1991年(平成3年)
湾岸戦争が勃発(1月)
高速船「ビートル2世」、博多-韓国釜山間が就航(3月)
雲仙普賢岳で火砕流(6月)
ゴルバチョフ大統領辞任、ソ連、解体される(12月)
1992年(平成4年)
福岡市民防災センター、百道浜に開館(1月)
ハウステンボス、長崎県佐世保に開業(3月)
1993年(平成5年)
博多港、国際ターミナル開設(4月)
福岡ドーム開業(4月)
Jリーグ、開幕(5月)
皇太子、御成婚(6月)
1994年(平成6年)
福岡市渇水で295日の給水制限(8月)
関西国際空港開港(9月)
1995年(平成7年)
阪神・淡路大震災(1月)
地下鉄サリン事件(3月)
ユニバーシアード福岡大会開催(8月)
マリンメッセ福岡開館(8月)
マイクロソフト、Windows95発売(8月)
藤枝ブルックスが福岡市へ移転しアビスパ福岡に(8月)
1996年(平成8年)
大分自動車道、全線開通(3月)
キャナルシティ博多開店(4月)
九州自動車道、全線開通(7月)
1997年(平成9年)
三池炭鉱、閉山(3月)
消費税5%に引き上げ(4月)
香港、中国に返還(7月)
平和台球場、閉鎖(11月)
1998年(平成10年)
長野冬季オリンピック(2月)
1999年(平成11年)
EC統一通貨ユーロが誕生(1月)
博多リバレイン、福岡アジア美術館が下川端町に開業、開館(3月)
博多座、下川端町に開場(6月)
ダイエーホークス福岡移転後初のリーグ優勝(10月)
展開・試練期(2000 - 2010)
沿革
3月
東京営業所を開設
東京営業所を開設(文京区本郷2丁目8-1)。
縁があって第4期ビルメン経営塾の九州出身の塾生の会社に開設、
後に当社の取締役に就任。
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2004(平成16年)10月に営業所閉鎖。
本社事務所4階から6階へ縮小移転。
2000(平成12年)5月、改正投資信託法が施行され、翌年2001(平成13年)3月には東京証券取引所に不動産投資信託市場が開設される。
ビルの所有者は、個人のオーナーではなく、証券を購入した不特定多数の投資家になった。
投資法人から委託を受けたアセットマネジメントがビル等建築物への投資を行い、その経営をプロパティマネジメント会社が行うようになり、市場のルールが変わり、当社の営業スタイルが通用しなくなってきた。
時代の流れから、取引先の支店決済ができないようになり、九州地区の営業も難しくなり、2000(平成12年)、東京に営業を開設するが成果は上げられず、2004(平成16年)10月に閉鎖へ。
私が、経営について最も悩んだ時期である。
前年1999(平成11年)4月-9月(社)全国ビルメンテナンス協会主催の経営塾に参加したことで、経営者の個人の力だけでなく、組織として対応する重要性に気付く。
同年、会社ホームページ開設の準備開始。(会社ドメインは1974.co.jp)
営業高は1億8千万円にまで落ち込む。社員数66名→64名(パート、アルバイト含む)
日本ビルメン品質協議会(JBQ)を全国の有志8社にて設立参加
2002(平成14年)、小山昇氏(株式会社武蔵野代表取締役)の第1期実践経営塾に参加し、2~8月の半年間、毎月2泊3日の日程で、東京にて経営について徹底的に勉強。
内容は手帳型経営計画書作成と環境整備を通じた組織改革の実践。最後の9月と10月には、各月1週間山籠りし当社の事業計画を完成させた。
1月
第27期 経営計画発表会開催(博多全日空ホテルにて)
お客様、金融機関やビジネスパートナーの方々に出席頂く。
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2003(平成15年)、博多全日空ホテルにて、第27期経営計画発表会開催。
発表会は社内のスタッフだけでなく、顧客や金融機関、取引先も招待。
以降、毎年経営計画発表会を行い、当社の経営理念・経営方針の徹底/実践に努めている。
4月
入社式開催(博多全日空ホテルにて)
10年後の幹部社員を育てるための新卒社員を迎える。
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この年に、10年後の幹部を育てるため初の新卒者採用をし、入社式を博多全日空ホテルにて開催。
事業継承を見据え後継者候補を採用し正社員の育成に力を注ぐも、定着しなかった。
11月
社員旅行(大分県 湯布院)
1月
第28期 経営計画発表会開催
4月
ISO14001認証取得
9月
創業30周年
会社ロゴマークとマスコットキャラクターの福ちゃんを制作。
1月
第29期 経営計画発表会開催
3月
福岡県西方沖地震
11月
MMT天神ビルの業務管理契約の解約
MMT天神ビル(2,400㎡)の総合管理(清掃、設備)の解約に伴い撤退、
契約金額4,500万円の売上減少。
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2005(平成17年)は福岡地区にビルファンドの嵐が吹き荒れた年で、当社にとって辛い1年となる。
ビルの売却が相次ぎ、ビル所有者は投資法人を介した不特定多数の投資家に。
3月に西方沖地震が起こり、この地震の連絡対応の不手際により、当社の最も売上のウエイトが高かったMMT天神ビルの業務(年間4500万円)が解約。
1月
第30期 経営計画発表会開催(八百治博多ホテルにて)
11月
事業縮小と体制強化のため事務所を移転
博多駅前4-10-4ルミエール1階へ事務所を移転。
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2006(平成18年)、事業縮小に伴い、博多駅前4丁目10-4-ルミエール1階に事務所(倉庫・駐車場)を移転。
最小限管理を徹底した経営を実践。
この年、まだパートスタッフだった堀田多恵子さんが57歳にしてビルクリーニング技能士の資格を取得し、以後、堀田多恵子さんを中心に、日常定期・巡回清掃業務の管理体制・教育訓練を強化。
1月
第31期 経営計画発表会開催(八百治博多ホテルにて)
3月
プライバシーマーク認証取得
1月
第32期 経営計画発表会開催
4月
平成20年度入社式開催
6月
医療関連サービスマーク認証取得
2009(平成21年)の主な出来事
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2009(平成21年)、当社の新規事業として床面にポリウレタン樹脂をコーティングするUコート事業を開始。
病院、医院をターゲットに営業を行ったが、類似競合製品も多く、金額面で折り合いがつかず良い結果は出ず、2012年に事業撤退。
また、男性スタッフ(メンテックス)が中心で行っていた貯水槽やガラス清掃業務の大口取引先の契約がなくなり、後継者候補が将来性に不安を感じ退職。
ただ、ハーティチームについてはリーダー3名体制をとり、清掃管理サービスは組織体制が整う。
4月には福岡県筑紫野市のイオンモール内であるワーナー・マイカル(現イオンシネマ)の清掃管理業務を受注し、年間の取引金額が600万円を超える大口の受注先に。
受注のきっかけはホームページからの問い合わせで、最終的に国内大手企業とコンペで競った末の受注。
以降、ホームページは当社にとって有効な営業ツールという位置付けになり、ホームページは定期的に更新を行って情報発信の強化に取り組み、検索エンジンで上位表示されるようになった。
1月
第33期 経営計画発表会開催
幹部研修実施(志賀島)
2月
第33期上期 政策勉強会開催
4月
イオンシネマ(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)場内清掃業務受注
平成21年度入社式開催
7月
第33期下期 政策勉強会開催
9月
幹部研修会実施(神崎)
10月
社員旅行(熊本県 菊池温泉)
2010(平成22年)の主な出来事
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2010(平成22年)、九州地区で展開する学習塾大手の英進館の清掃管理業務を受注。
病院当社が担当する建物は、福岡市だけでなく久留米市、春日市、佐賀市、鹿児島市と、広域に亘り、県外の業務は協力会社と提携し対応。
年間の取引金額は1,000万円を超える大口の受注先となる。
この年から、社内の労働安全衛生マネジメントシステムの構築に取り掛かる。
自社に応じたマネジメントシステムを構築するために、外部から専門家を招いて勉強会を実施。
積極的な取り組みで社内体制も整い始め、新たな取引先も開拓できるようになった。
1月
第34期 経営計画発表会開催
2月
第34期上期 政策勉強会開催
4月
英進館(福岡・久留米・佐賀・鹿児島)日常・定期清掃業務受注
平成22年度入社式開催
5月
第8回 マスターズ技能会開催
7月
第34期下期 政策勉強会開催
8月
エコ事業所登録
9月
第34期 全体勉強会開催
11月
社員旅行(長崎県 平戸)
12月
第7回 労働安全衛生勉強会開催
平成23年度新入社員内定式開催
世界・日本・
2000(平成12年)
岩田屋新館(A-LIVE)閉館(3月)
2000円紙幣発行(7月)
第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)開催(7月)
2001(平成13年)
吉野ケ里歴史公園、オープン(4月)
アメリカ同時多発テロ(9月)
福岡都市高速道路、百道-福重間が開通(10月)
長崎の池島炭鉱が閉山(11月)
2002年(平成14年)
EU統一通貨ユーロの流通開始(1月)
サッカー第17回ワールドカップ日韓大会開催(3月)
2003年(平成15年)
福岡国際会議場、石城町に開館(3月)
米、大量破壊兵器保持を理由にイラクへ侵攻(3月)
博多城山ホテル閉鎖(9月)
2004年(平成16年)
天神岩田屋本館、閉店(2月)
九州新幹線、鹿児島中央‐新八代間が開業(3月)
スマトラ島沖で大地震(10月)
新潟中越地震(10月)
2005年(平成17年)
福岡ソフトバンクホークス誕生(1月)
福岡県西方沖地震(3月)
九州国立博物館、太宰府市に開館(10月)
2006年(平成18年)
新北九州空港、開港(3月)
2007年(平成19年)
博多井筒屋閉店(3月)
アップル、iPhone発売(6月)
郵政民営化、日本郵政グループ発足(10月)
2008年(平成20年)
北海道洞爺湖サミット開催(7月)
リーマン・ショック(9月)
2009年(平成21年)
米国大統領にオバマ氏就任
2010年(平成22年)
福岡パルコ開店(3月)
小惑星探査機はやぶさ帰還(6月)
充実・継承期(2011 - 2013)
沿革
2011(平成23年)の主な出来事
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3月に東日本大震災が発生。
福島県では原発事故が発生し人間の無力さを痛感させられ、「自然との共生」の大切さを感じた出来事だった。
1月
第35期 経営計画発表会開催
2月
第35期上期 政策勉強会開催
5月
第9回 マスターズ技能会開催
7月
第35期下期 政策勉強会開催
9月
第35期 全体勉強会開催
11月
社員旅行(沖縄県 那覇)
12月
第8回 労働安全衛生勉強会開催
新幹線ビル・ITビル日常・定期清掃業務受注
平成24年度新入社員内定式開催
2012(平成24年)の主な出来事
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2012年(平成14)3月、本社をアサコビルに移転し、業務、営業、総務の部署を1か所に集め、危機管理の向上や業務の効率化で体質強化を計る。
アサコビルは、当社の業務全般(清掃、設備、管理)を任せて頂いている建物であり、また、博多駅から徒歩3分とアクセスも良く、当社の仕事ぶりを見て頂くショールーム的な位置付けとしても、本社を置く。
1月
第36期 経営計画発表会開催
2月
第36期上期 政策勉強会開催
3月
本社事務所をアサコビル4階に移転
10階を研修室として使用。
4月
博多祇園ビル日常・定期清掃業務受注
平成24年度入社式開催
5月
第10回 マスターズ技能会
6月
第12回 福岡県ビルクリーニング技能競技会に挑戦!
競技会に社員の川西孝司さんが挑む!
第9回 労働安全衛生勉強会
7月
第36期下期 政策勉強会開催
平成23年度 無災害表彰受賞
9月
創業40周年記念 創業祭(感謝の集い)開催
創業40周年記念 祝賀会開催
創業40周年記念の創業祭・祝賀会を開催する。
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本来の40周年は2年後の2014年(平成26)だが私自身の体調不安がある中で2年早めて開催した。
11月
社員旅行(鹿児島県 知覧)
1月
第37期 経営計画発表会開催
2月
第37期上期 政策勉強会開催
3月
花見の会開催(中比恵公園)
5月
第11回 マスターズ技能会開催
6月
第10回 労働安全衛生勉強会開催
7月
第37期下期 政策勉強会開催
9月
(株)八百治との管理業務解約
八百治ビル日常・定期清掃、常駐警備業務(昭和63年12月契約)・博多八百治ビル日常・定期清掃業務の解約。
11月
社員旅行(広島・宮島・呉)
継承・発展期(2014 -)
沿革
1月
第38期 経営計画発表会開催
2月
第38期上期 政策勉強会開催
4月
株式会社さんびるのグループ傘下になる
会 長:西依 有一
社 長:田中 正彦
副社長:竹田 幸夫
5月
さんびるグループ傘下入り祝賀会開催
第12回 マスターズ技能会開催
6月
第11回 労働安全衛生勉強会開催
7月
第38期下期 政策勉強会開催
8月
全顧客の環境整備点検(年4回)をスタート
10月
国際ホテル旗松亭の日常清掃業務開始(長崎県平戸市)
11月
社員旅行(長崎県 佐世保・ハウステンボス)
1月
第39期 経営計画発表会開催
誕生日祝い返信はがきスタート
3月
社員向けの健康増進体操教室スタート
4月
ホームページをリニューアル
代表取締役社長 :竹田 幸夫【就任】
代表取締役会長 :田中 正彦
取締役(相談役):西依 有一
7月
第39期下期 政策勉強会開催
8月
本社機能をアサコ博多ビル4階から10階へ移転
11月
社員旅行(大分県 別府温泉)
12月
設備管理スタッフ改善報告協議会スタート
第39期下期 政策勉強会開催
1月
第40期 経営計画発表会開催
2月
永年勤続表彰にともなう褒賞旅行を開始
4月
熊本地震による支援物資を送る
7月
第40期上期 政策勉強会開催
9月
設立40周年記念ボーリング大会開催
10月
第1回 ゴルフコンペ開催
筑紫ヶ丘ゴルフクラブにて、25年ぶりのゴルフコンペ開催。
11月
社員旅行(熊本県 玉名温泉)
12月
第40期下期 政策勉強会開催
1月
第41期 経営計画発表会開催
4月
第1回 会社の歴史勉強会開催
第2回 ゴルフコンペ開催
7月
第41期上期 政策勉強会開催
9月
第2回 会社の歴史勉強会開催
11月
社員旅行(長崎県 雲仙温泉)
第3回 ゴルフコンペ開催(筑紫ヶ丘ゴルフクラブ)
12月
第41期下期 政策勉強会開催
3月
第43期 経営計画発表会開催
決算期変更により第42期経営計画発表会の開催は無し。
4月
第3回 会社の歴史勉強会開催
6月
第4回 ゴルフコンペ開催(筑紫ヶ丘ゴルフクラブ)
7月
第43期上期 政策勉強会開催
10月
第5回 ゴルフコンペ開催(筑紫ヶ丘ゴルフクラブ)
11月
社員旅行(山口県 萩・湯本温泉)
12月
第4回 会社の歴史勉強会開催
第43期下期 政策勉強会開催
1月
第43期下期 政策勉強会開催
3月
第44期 経営計画発表会開催
4月
第5回 会社の歴史勉強会
6月
第6回 ゴルフコンペ開催(筑紫ヶ丘ゴルフクラブ)
7月
第44期上期 政策勉強会開催
11月
第7回 ゴルフコンペ開催(筑紫ヶ丘ゴルフクラブ)
第6回 会社の歴史勉強会
1月
社員旅行(佐賀県 唐津・呼子)
2月
第44期下期 政策勉強会開催
3月
第45期 経営計画発表会開催
コロナ禍のため本社の管理メンバーのみで開催。
3月
第46期 経営計画発表会開催
コロナ禍のためZoomでのオンライン開催。
7月
田中博光が新社長に着任
3月
第47期 経営計画発表会開催
コロナ禍のためZoomでのオンライン開催。
3月
第48期 経営計画発表会開催
3月
第49期 経営計画発表会開催
世界・日本・
2015(平成27年)
福岡市天神再開発プロジェクト「天神ビッグバン」始動(2月)
三池炭鉱関連資産 世界遺産登録(7月)
2016(平成28年)
熊本地震(4月)
オバマ大統領広島訪問(5月)
2017(平成29年)
九州北部豪雨(7月)
宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録(7月)
福岡市科学館開館(10月)
2018(平成30年)
平昌冬季オリンピック開催(2月)
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の世界遺産登録(6月)
西日本豪雨(6月)
北海道胆振東部地震(9月)
2019(平成31年)
平成天皇ご退位(4月)
2019(令和元年)
新天皇陛下が即位、元号は令和に(4月)
ラグビーワールドカップ日本開催(9月)
2020(令和2年)
世界保健機関(WHO)、新型コロナウィルスの流行を受けて緊急事態を宣言(1月)
日本政府、全国に緊急事態宣言(4月)
九州豪雨(7月)
福岡ソフトバンクホークス4年連続日本一(11月)
2021(令和3年)
ゴルフ・マスターズで松山優勝(4月)
東京オリンピック無観客開催(7月)
眞鍋淑郎氏、ノーベル物理学賞受賞(10月)
2022(令和4年)
北京冬季オリンピック開催(2月)
ロシア、ウクライナに軍事侵攻(2月)
安倍元首相、撃たれ死亡(7月)
円安、1ドル150円突破(10月)
2023(令和5年)
WBC日本が14年ぶりに優勝(3月)
新型コロナウイルス5類移行(5月)
広島でG7サミット開催(5月)
世界水泳選手権、福岡市で開催(7月)
イスラエル・ハマス軍事衝突(10月)
藤井壮太竜王が史上初の八冠(10月)
アビスパ福岡、ルヴァンカップ優勝(11月)
2024(令和6年)
能登半島地震(1月)
奥能登豪雨(9月)